大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京家庭裁判所 昭和41年(家)9906号 審判 1966年12月26日

申立人 東京都○○児童相談所長 X

事件本人 A 昭和○年○月○日生

保護者・親権者 B

主文

申立人が事件本人を養護施設に入所させることを承認する。

理由

一、本件申立の要旨は、次のとおりである。

(一)  事件本人は、父母の離婚後、しばらく母とともに生活し、満六歳の頃、親権者である父のもとに引きとられ、父と継母、異母妹らとともに生活し、東京都内の小学校を卒業し、同地の中学校に在学中の者であるが、かねてから、父の教育に対するきびしいしつけに堪えかね、たびたび家出を繰り返していた。

(二)  そして、事件本人は、昭和四一年七月一八日頃、父から勉学態度をとがめられたことから、父の懲戒を怖れて、またまた家出をして、その後、同年八月一五日頃、一時帰宅したものの、また家を出て、外泊、野宿などの放浪生活を続けていた。同年九月一日、学校長、担任教諭などのとりなしで、父が体罰を加えないことを約して帰宅したが、父がその約束に反し、事件本人の家出前後の行動や帰宅後の態度に対する憤りを抑えることができず、ささいなことから激昂し、事件本人に対し、首に畜犬用チェーンを巻き、これに施錠して、チェーンの一端を柱に結びつけ、事件本人の自由を奪つた上、ステッキや板切れで、それが折損するまで、数十回にわたり、事件本人の全身を乱打する暴行を加え、両前腕、両手背、両大腿、両下腿などにかけて、加療約二週間を要する打撲傷を負わせた。そのため、事件本人は、翌九月二日、父の隙をうかがつて、柱に結びつけられたチェーンを切断して、ふたたび家を飛び出し、その後、父の懲戒を怖れて行方をかくし、間もなく○○警察署からの通告によつて、△△児童相談所に保護されるに至つた。

(三)  ところで、親権者たる父は、事件本人の引取方を強く要望し、事件本人は帰宅することを強く拒否しているが、このまま、事件本人を帰宅させ、父の監護に委ねれば、父の特異な性格、複雑な家庭環境などからみて、今後、事件本人が再び父の虐待を受け、そのためまた家出をし、野宿、放浪の生活を繰り返し、遂には、非行に陥いる危険がないとはいえず、この際、事件本人の福祉のため、事件本人を、親権者たる父の意思に反しても、養護施設に収容する必要がある。そこで、その承認を求めるため本件申立に及んだ次第である。

二、そこで審理するのに、本件記録編綴の児童票(写)、戸籍謄本、住民票(写)、医師C作成の診断書(写)、作成者不詳の投書(写)、D、E、F、Gの司法警察員に対する各供述調書の記載ならびに申立人代理人H、参考人I、親権者Bおよび事件本人の各審問の結果を総合すると、申立人所長の上記事実は、すべてこれを認めることができるほか、次の事実が認められる。

(一)  親権者たる父は、学歴に対する強い劣等感と、それに基ずく特異な教育観から、事件本人に対し、その能力以上の勉学を強要し、勉学の怠慢や学業の不振をとらえては、しばしば、激越な説諭ないし懲戒を試み、時には、自制心も失ない残虐な体罰を加えることがあつた。

(二)  親権者たる父の異常な教育観とそれに基ずく教育の方針、態度は、父の特異な性格からみて、容易にその改善を期待することはできない。

(三)  親権者たる父は、事件虐待の事実は認めながらも、ただ、事件本人の非を責めるに急であつて、自ら省みることが少なく、改悛の情がほとんど認められない。

(四)  事件本人は、事件虐待およびこれに至る経過から、父に対し極度に強い不信感を抱いていると同時に、父が職業柄留守勝ちであるため継母、異母妹らの家族と十分に融和することができず、複雑な現在の家庭に対する親和感、帰属感が極めて稀薄である。

(五)  事件本人は、体格的にやや劣る点を除けば、知能的にも、性格的にも、さして問題がないが、このまま、親権者たる父の監護に委ねれば、家庭生活の暖い影響が、学校生活にも及び、遂には性格的に大きく歪められる危険がないとはいえない。

三、以上の事実を総合すると、事件本人を、このまま親権者たる父の監護のもとにおけば、事件本人の福祉を害する虞が極めて大きく、事件本人の福祉のためには、事件本人を、その親権者の意思如何に拘らず、養護施設に収容するのが相当であり、本件申立は理由がある。

よつて、児童福祉法第二八条により、主文のとおり審判する。

(家事審判官 内藤頼博)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例